地球人類社会の未来像と日本の国際貢献について、深く考えるべき時機です。
日本の国際貢献 はじめに
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成熟したと言われる日米の両国関係に新しい協働を進める時期が熟しています。(*1)
戦後、背景には様々な意図はあったもののアメリカの特性である理想主義的な姿勢のもと国民の想いを結集して民主的な大いなる変革を志し、世界にも珍しい平均化した高水準の所得階層と高度な教育の一般化など優れた成果を数多く達成した経験をもっています。
このような日本の社会は、人間の尊厳に関する責任を伴う自律性には未だ到達していないものの、固有の文化と価値観を失うことなく偏りの少ない童子のような日本人像をもたらしたことも、新しい時代波動を受け入れやすくしたある種の聖なる成果ではなかったかと思われます。そして大戦後、所得倍増の夢に向かって無心に働いた日本人でしたが、そこで得たものが何であったのか、そこに新しい夢の方位が何も示されなかったという、失ったものの大きさを思い知らされるのも一つの事実であります。
古く大和朝廷の成立過程にも見られるように、覇権による統一によらず民族の融合的象徴と鉄の文明という新技術のもとに結集するという国民的形質を、(途中から敗戦までの見失った時代を別にして)現代という世相に照らして再評価し認識するときであります。先の見えにくくなっている国際社会に新しい秩序を構築するために、国家特性の美しい融合による創造の効用を検討し、近隣諸国との友好性はもちろんのこと、究極の智慧と愛への献身というアメリカ合衆国やフランス、EUあるいは日本やスイスなど関係諸国の創造的特性を相乗的に投入し、新しい地球社会に正義と秩序をもたらす戦いを開始すべき時期が迫っていると思うのであります。
一方では、止まることを知らない経済的優位性を求める渦に巻き込まれながらも自国を利する心、先取特権によって獲得された権益の保全など、貪欲を自律制御することの困難さ以外には、つまり人間の心の問題以外には、そして地球生命体の健康維持の時間的問題の外には、地球社会のもつ進化の有限性は、地球にはあまりないというヴィリー・ブラント委員会のOECD(*4)答申はいまなお事実だと思われます。しかし我々市民には世界に起きている様々な働きの実態を知る方法がないのも事実であります。世界の錯綜し複雑に絡み合っている現実を代表して説明できるような方法がないこと、原因と結果との関係を立証しようとしても客観的事実の把握も困難であって、従って決め手となるような抜本的対策も聞こえてはこず、それが我々の将来を決めるだろう現実も実感としては理解できなくて、それほど酷い状況ではないだろうと多寡をくくっている状態なのかもしれません。
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