国際的な社会的ジレンマを超えて
4.貪という煩悩の自律制御と新技術への投資
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「解っちゃいるけど」 止められない人間の悲しい性に対処するにも、倫理的に完全に否定する措置もあれば、人間も聖なる使命を持ちながらも、動物的存在であることに代わりはなく、人間の生き様に同じ身と同情しつつ徐々に変化してゆく覚悟の方法もあります。この動物性を持ちながらも、弱肉強食の動物性から脱出して自らの精神活動によってこれを制御し、やがて自らの聖なる使命に心底から目覚めてこれを実現する方法が果たして、手の届くところにあるのでしょうか。
貪欲や怒りや無明という煩悩が、仏教では三毒と呼ばれるように、個人個人の人間ならばまだ考えようもあるでしょうが、地球の将来にも影響しようという国際人類社会を構成する国家という存在においても、これが制御なく展開してしまった歴史の上に立って考察すると、先に述べた社会的ジレンマやテロ行為への臨界知や、ここに述べた凡てのシナリオの総動員によって、これに対する「正しい解」が必ずやあるだろうと、考え込む時間ばかりが過ぎてゆきます。
ここに述べる仮設シナリオが、検討する価値があるか否かは、専門家ではないものの理解では困難がありますが、自然科学者として経験した事象から辛うじて類推した「貪欲」という人間の厳しい性から脱出するプロセスを、無理があるかも知れませんが対比しつつ検討してみたものであります。

ここに示したシナリオ案の効用が如何なるものかは、更に以下(次のページ)に示すような検討を要します。
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