地球生命体への善と益と
4.進化の耕作基盤たる地球社会の思想と道具
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⑤ 国家カルテの指摘する統合戦略へ
決定的な大義名分や公共性を持たないが、市街地に固有の権利を持つ市民のために行う地域再生や活性化事業においても、事業を施行すると決めた一定の地域に居住する市民の多数を対象として、計画を取り巻く広範囲な位置つけを含むマクロな視点から、市街地や地域の持つ特徴的特性を解析し、この計画総体を取り巻く与件を十分に理解して、鳥瞰する視点から計画を決め、地域内の主権者に対し理解と同意を求める活動が行われるのは、当然のことながら一般的風潮であります。
この事業が、目的に見合う動線を確保し、これに接道した目標に合致した規模の敷地が確保され、既成の市街地と融合する側面を持つ事業ならば、一般的風潮による事業の展開方針はほぼ適正と見られますが、既成市街地の主な動線は、ひしめき合う施設建築物で立錐の余地がないのが普通のことであります。そこには多種多様な業種、業態が時系列な必然性を持った程度の秩序によって立地し、その多様な立地に市民は創造のおもしろさを楽しんでいます。
このような状況の下に街区を形成し、固有の権利によって存在を保護された市民の同意を求めつつ、事業全般を見通すスコープ・デザインを立案し、与件の変化に応じてスコープ・デザインにも対応できるような意見にも、変化する市民の同意を求めて行う事業の展開でははなはだ困難が多く、現代という世相において、これを保証できるものがあるとは思えないのが一般的な理解であります。
しかし、不思議とも思えますが、融合や和の文化を持つ日本においてはもちろん、対立や競合の文化を得意とする米国においても、それは多く各地の地域社会で実現しているのです。そこには文化の違いを超えた何かがあることが、社会的ジレンマを超えて集団化事業という困難な事業の成立の背景にある筈であると思われるのであります。
集団化事業の成立というそこには、必ずといってよい程、構成員の殆どを感動の渦に呼び込む意外性のある、そして感動のある行為が、構成員の誰かから生まれ出ている共通項が発見されるのであります。ここにある感動は、その殆どが誰もが思いも付かぬ意外性を持っているか、または、そこに住む方々の故郷に関わる熱い想いに重なっている所があるように思います。
貪欲に啓発される経済制度に埋没する現代人にとっての意外性とは、複雑な時代だからといっても、その複雑で多忙な、すり減らすような日常性の中で忘れているものの中にあります。普段忘れていて熟慮してみる機会があって、よく考えてみたら其処に大きな壁があったことに気づくとき、そして、普通なら考えもしない解決策が、自我を超えて発現したとき、その意外性に仰天して感動の渦に巻き込まれ、今までの思いこみを捨てて、人間は大きな変化を遂げることができます。『感動は人を動かす力を持っているのです。』 現代人が競争する世相の思いもよらない反応と不確実性に苛まれ油断も隙もならない世相に疲れ果てて、休息を求める中であるだけに、一服の清涼感のある意外性は、多くの方々をほっとさせる部分を持っているのだろうと思います。
この意外性の発現は、多くの家庭の日常の中に、そして日常と自然の関わりの中に生まれてくるものかもしれません。市民一人一人の生活行動に関する主観的な想いと環境との関わりの中に、感動の種が潜んでいることを、私は多くの事例から学んでいます。これを国家と代表する普通の国民の代表について、国家カルテとして調査し解析の対象にしたとき、恐らくは多彩でありながら説得力の大きな日常の中の意外性を発見することができるでしょうし、慎重な心構えによって政策化されるときの感動は、多くの地球人類を、変化させる可能性を持っていると信じるものであります。
『国家と構成する地域社会の詳細について、必要な軸性を定め、各軸性間の現状について構成員たる世帯別個人別の国民カルテを作成し、位置つけを確認し、国民並びに地域社会の近い将来像を即時に描き出す力を持つ国家並びに地域社会カルテを策定』するのであります。
新しい地球人類社会は、バードビューの計画ではなく、草の根からの実態を観察し、適切に識別して方向つけし、これを軸性に整理して、対策の位置つけを判定し、効果的な対策の順序を討議し公表して人類社会の政策とする必要に迫られています。
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