地球社会における新文明への耕作活動へ

日本の国際貢献 Japan's international contribution

普遍化のすすめ

【Ⅰ】科学文明の限界性と普遍的な理解に向けて

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 肉体を維持しなければならない人類、生命の危険がなく経済的に余裕のある生活を続けてやっと礼節を知り、深い精神活動を通じて漸くにして高い認識に達することが可能な人類は、現代をどの様な意志と希望をもって生き抜いて行くのでしょうか。
 ある現象を聞けば「なるほどその言い分も解る」と言い、ある課題に当面すれば「それが問題になるのも尤もなことだ」といいながら、併せての矛盾には悩み、有為転変の一般社会の日常と変わらぬ地球社会でもあるように思われます。

 過去数世紀から十数世紀の精神文明は、象徴や記号、そして模型による積み上げの思考体系に大きく依存していました。しかし象徴的な模型や記号である以上、検討のすすめ方や位置づけを間違えれば大きな間違いを起こす限界性もあわせ持っていました。それでもこの分かり易さが誘因となり、学問の進歩から科学的理解の深化へすすみ、物質文明への厳しい過程を持った大転換が始まり、今日にいたる科学文明の道が確立したとみることができます。この営々とした数世紀の対数曲線的な変化の行程をへて人類は再び、物質文明にかかわる論理的、思想的な制御に関する歴史的転換点を迎えようとしています。

 このような状況の下に発生する多くの課題を次元別に整理して幹と枝との関係を再編成してその構造を知り、外囲構造との境界領域を解析するなど、課題の位置づけを知ろうとすると、日常我々が使っている視点から脱出しない限り、包括的な理解が困難であることが解ります。我々の眼前には、先行きが不透明で夥しい数の管理困難な問題が山積しているように見えます。この様なカオスの縁には神の領域が拡がっていると言われますが、理解を進めるには全領域をカバーする高い視点が要求されるのは当然のことです。そしてここ数十年の国際社会はこれを可能にする知的な環境を充分に造っていますが、それにも関わらずあらゆる所に見られる閉塞感、環境の有限感、情報の氾濫、価値観の混乱等に対する必要な視点を失ったまま徒に機を逸しているのは何故でしょうか。

 我々が冒しがちなことは「今度は違うのだ」という誘惑に今度も負けそうになっていることです。世界中がここ暫く継続した「物的、情調的、知的な欲望の解放の心地よい余韻」に身をゆだねて、それぞれの心の底から来る理性の囁きを聞いても、多くの理由を挙げつらいつつ現状の改善策をのみ模索しているうちに、欲望の解放を素因とする「社会的、経済的な大破壊」の発生を防止不能な状態にしているのではないでしょうか。

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