普遍化のすすめ
第2章 創造の力と認識上の限定
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1.創造するもの
さて「異質なもの」という概念は一つの系の界層や軸性などの構造体を限定した上で形成されるものですが、我々にとってある未知な領域を多量に含むあるいは未知領域ばかりによって構築されている一つの系について、この中にある同質性や異質性を発見することはたいへん難しいことです。少なくとも全体像をある程度理解できるまで構成されている部分像を解明して、表象性と具象性の両面を構成する要因に対して軸性と界層を与え、これを知覚し認知し認識したうえで形成された知覚者の「意識」が、要因のもつ特徴、性質等の相互関係を比較評価して同質又は異質であると判断することによっています。
異質なもの同志を組み合わせて融合するプロセスは、それが異質であるだけに直接的な融合ではなく複雑な系の中の単一な反応である場合が多いでしょう。しかし「創造するもの」の問題は、表象性の根源にある表象のための思想や意図が何を目標としているかによって、我々が創造と呼んでいるものの本質は、思想した者が望むところとは異なって変化してしまうことにあると思います。
今まで誰もが達成できていない未知領域に関する強い願いがあり、仮説検証の試行錯誤を繰り返した結果、その構造体と構成要因が徐々に理解され全体像を描くことが可能になり、部分領域との関わり方も殆ど理解され、これを具象化する技術もその殆どが達成されたにもかかわらず、解決できない巨大な課題に直面し苦闘することは多くの発明の事例からも観察されることです。徹底した糾明を重ねて問題が絞り尽くされて尚、解明できない苦しみは経験者でないと理解できないかも知れませんが、このとき大きな天啓が受けられて始めてこの発明があったという言葉に耳を傾ける必要があると思います。ここで天啓と呼ばれた内なる示洵はいったい何を意味していたのでしょうか。
それは異質なもの同志の融合が、全体像ではなく具体的な部分で行われるにしても異質な両者を包含できる高い視点と融合システムに関するヒントがあって始めて融合手段にいたるのですが、この虚をつくような視点を見つけだすことが難しいために起きている示洵のように思われます。つまり精神や知的活動による思索行動が限界点に達し絞り込んだ課題に倦み疲れきって無心になった研究者の深層意識に与えられた示洵が、一挙に問題を解決して始めて偉大な発明という事実が生まれたということになります。
夢とかものとかを創造するためには、まずそのもの自体を表現しなければなりません。夢の表現がなければその実現はありえません。人の思念活動つまり、思索活動によって「夢やもの」が具体的に表現され、精度の高い表現があれば精度よく、不明確な表現であれば輪郭の弱いものとして正確に実現してくるでしょう。人間が建物やまち全体を計画するにあたって、建設のための様々なコンセプトつくりや各水準のエスキース、設計段階の青写真などに全力を挙げるのは、すべて表現方法の数々によって豊かに目標像を表現しようとしているに過ぎません。
この表現力を駆使してある目標物を創造するにあたっては、直観によって思想的に、目標とするものを問い続け、同質なもの、異質なもの、対立すべきもの融合すべきものと語り合う姿勢によって創造する立場の方々と、直覚だけに頼らず思考構造体モデル(後述)のように構成要因を主要な軸性と階層に整理して構造科学的に創造行程に対処しようとする方々とがあります。それぞれ特性を持ち意義あるものですが、後者の特徴である多数の参画者による共同的な側面は評価できるものかも知れません。また創造するものの重視な諸点は、達成すべき目標が明らかであり、自然の摂理に適合して本物になるのか、本質に近いところまで表現しきる力を持っているか、全体と部分の関係が明らかであり、融合接点を具体化し詳細部分に落ち切っているかなどに見られます。この重視すべき条件は何を説明しており、一体誰が創造するものなのかを改めて考えてみる必要に駆られます。
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