普遍化のすすめ
第4章 思考と具象構造体ならびに循環系の仕組み
P37
過去数世紀のあいだに、われわれの住む地球を、われわれは望むところに従って恣に使ってしまいました。そして無限の浄化作用を持つと思いこんでいた地球の姿に、大きな有限の世界が厳然としてあることも少し認識するようになってきました。しかし、私たちの殆どが自分の庭にはその影を見てはいませんし、他の分野にも同様に他山の石としてしか見ていない分野が大変多いことに気づきます。
時代が大きく動いているという実感は、あちこちにありますが、その実態をつまびらかにする人はおりません。多くの議論が人類の未来について重ねられ語られていますが、納得できる説明を聞いたことは今のところありません。先ほどのカオスに関する記述の中にもあるように、発生する現象を包括して理解できる視点とはこの場合、どの様なものでしょうか。また、われわれが持つ理解力は、充分すぎるほど蓄えられている筈だのに何故それが使用されていないのでしょうか。
今のところわれわれが持つ理解力は、地球全般を理解する複雑系の事象に対するものではなく、地球の循環系としては部分系というか単体の現象に留まっているからでしょうか、それとも気つかないふりをしているのでしょうか、決してそうではないと思います。
そこには2つの背景があります。一つは、科学、学問そして科学技術という認識に見られる数世紀前から始まった弁証法的変転の方位について再評価しその延長線上に留まることを考えるだけでなく、再転換の要請を評価する勇気を各分野の研究者が持つ必要があること、もう一つ、象徴的なこととして膨大な系を研究対象にする以上、真理探究という特性を活かすために、まず領域界を定めた研究を容認する態度を研究の前提にする分野があることではないかと思います。
現代に生きる私たちが最も信奉している学問や科学的態度というものの、道具つくりの側面に目を向けるだけでなく、科学が心に与える世界に目を向ければ科学が持っている力はほんの微々たるものであることに気がつきますし、これからが研究の本番になる揺籃期にあると言ってよいと思います。 しかしそこにある問題点としては、科学的手法が持つ実証的特性に見られるように部分系に強く包括系に弱いことが指摘されます。
人類史上における過去の20世紀を概念的に観察すれば、各世紀によって相当な違いはあるものの、宗教的にも科学的にも、政治的にも社会的にもやや理想主義的な時代であったような気がいたします。理想主義的な社会では総論に近い故の対立が多く発生し争いの尽きない時代であったように思います。
21世紀に入った現代では、各分野に多くの進展が認められ具体的な対話が可能になり詳細部分について議論が進んできています。詳細で現実的、かつ具体的な部分系ではプロトコル化が進めやすいため融合が生まれやすく、われわれ自身が立場をかえ視点を変更する勇気を持てば大きな可能性を持つ新しい地球になれる予感を感じるのは私たちだけでしょうか。
地球の未来を羽ばたくものにするために、われわれ人類の絶え間ない努力によってかちえた科学の強さを活用し、弱さを補うシステムを考えることは出来ないでしょうか。本稿ではこのことを検討して見ようとしています。
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