地球社会における新文明への耕作活動へ

日本の国際貢献 Japan's international contribution

航図なき国際社会の“新フロンティア”-日本の国際貢献

1.希望あふれる目標の航図-「心ともの」の臨界点をしる!

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 国際社会は、希望にあふれた確かな目標像という航図を失って、先進諸国の首脳を含めて目前に頻発する多様な対応に混迷の度を深めています。この混迷の重要な原因は次の二点にあるように思われます。即ち第一に、発生する課題を凡て包含できるような視点にまで、必要な高さを維持していないこと、そして第二に、過去に獲得した形質を超えることが出来ず、ここ数世紀の人類史を概念的な視点として客観視出来ないことが、主な原因になっているように思えます。
 そしてこの視点を確かなものにするためには、14世紀から16世紀にかけてヨーロッパ各地に伝播していった、大規模な文化的活動即ちルネッサンスやその背景にあった決意に満ちた働きにまで遡る必要があるように思われます。
 ルネッサンスとはフランス語で、「再生」を表す語に基づいていますが、哲学、文献学、キリスト教学、美術、建築、音楽、演劇、文学、言語学、歴史叙述、政治論、科学、技術など、それぞれの領域において顕著な発展が認められる活動の真の価値は、包括的な再生に主点があるだけではなく、寧ろ真の意図がべつの所にあったことに注目すべきと思います。
 そしてフランシス・ベーコン(1561~1626、参考資料)やヨハン・アンドレーエ (1586‐1654)あるいはデカルト等の著作の背景まで遡ってみる必要があるように思われます。その背景とは宗教的な伝統的原理主義等が当時ヨーロッパの民衆に及ぼしていた精神的な弊害からの脱出を目ざして、敢えて解りやすい物質的な意味の客観性を求めて、現代科学の基礎を築いたという高度な意志の働きが、その背後にあって、厳しい失敗や小さな成功の繰り返しの中に、時代を大きく動かしていった働きが含まれていたことを重視しなければなりません。
 いま我々が直視しなければならないものは、もしかしたら中世に人々を善導し大きな成果を上げつつも、遂には弊害をもたらした始めた宗教上の原理主義的な判断を、知らぬ間に現代における科学的の領域にまで持ち込んでしまっているのではないかと言うことです。
 物質主義的な至上主義から、事態の効率性や利便性ばかりを追求し、人間の心の奥底の問題を軽視する傾向を生み、恰も科学的信仰のような受けとり方を現すようになっているように思います。
 しかし現状に発信されている時代の基本的な波動は、理想主義的な姿を追求するというものから、もっと現実的な組織的な融合の領域を求めている魂の声に応えるものになっているように思います。
 知らぬ間に我々の日常にまで持ち込んでいるかもしれない科学的信仰に類する態度に対して、再確認すべきという強い声を感じるのであります。
 現代という国際的な世相には、我々にとっては驚くような利便さを提供してくれることが多くありますが、少々を除いて凡ては科学技術の発達のもたらした成果であります。その思いは拡大して科学技術そのものが万能の力を持つような、信仰のように誤解されて、我々の日常の営みの中に持ち込まれてきたのもやむを得ぬことかもしれません。
 しかしそれらが我々の所得を支える物質的な競合の世界に持ち込まれ、経済競争の先端に存在する人は勿論、正常な普通の人間の心で生きている人の心までも麻痺させて、明日の覇権のための力任せの今日を生きる物質的経済人間の権化となっている例は数え切れないほど多く存在します。そしてその行為は因果の渦に巻き込まれ多くの宿業を生んで、嫌でも発生してくる不調和の多さに対処困難な事態となり、力の競合の制度に対する不十分な安全網という割り切れない思いが滲んでいる事象が多く観察されるのであります。

 我々が科学的な技術というとき、科学者は極力こころの問題を排除して客観性を維持してきた経過を知らないまま成果だけを享受してきました。しかし科学技術が社会生活に及び、都市という自然環境を人間の手で制御しようとし、人間環境を決定つける文明の時代となってみると、科学技術が心をもっていないことが、自然との協働を否定することになってもこれは至極当然のことであります。
 言ってみれば現代科学は、都市に住む市民の放つ波動と自然の持つ波動との調和を考えずに、様々な理由によりデザインされ、その結果の不調和を呼んでいますが、最早、猶予なく人間の想いと自然即ち惑星地球の思いとの調和を工夫し、その臨界点の近いことに思いを致さねばなりません。
 そして人間の主観的な意志が科学技術の領域を拡大して、「ものとこころ」の科学領域が一体化して、「こころ」に表現されるものが「もの」形や機能に現れるシステムと発動の臨界点を知りえたとき、漸くにして希望の溢れる航図をわれわれは手に入れるのではないかと思うのであります。

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